高杉晋作の思想で分からないことがあります。
彼は性格が破天荒で波乱万丈の28年間の短い生涯でしたがその人生において松下村塾で吉田松陰の師事を受けて攘夷思想となりますが上海に行き西洋文明の脅威を知ることにより攘夷は不可能と悟ります。しかしその攘夷を武器に幕府を揺るがせ長州藩内の親幕派を排除し長州藩を倒幕の原動力へと導く偉大な戦略家でした。
しかし反面、彼は長州藩では出自の良い家(薩摩の小松帯刀に似た環境)に生まれ育ち毛利家を大事にし倒幕活動中、最悪の場合は毛利藩主と世継ぎを連れて海外に亡命することを考えていたそうです。その高杉が倒幕後の日本についてどのような考えを持っていたのでしょう。まさかあれほど聡明で当時では薩摩の西郷と匹敵する優れた戦略家の彼が毛利幕府樹立は考えてはいないとは思いますが。
司馬遼太郎は、「革命
には先導者、壊し屋、作り屋の順序がある」と言っていますが。
高杉は典型的「壊し屋」です。壊すことに夢中で、後のこと後の人に任せる、という気分です。
師を殺した、優柔不断の幕府に見切りをつけ、「反幕」を叫び、自藩をその方向に持ってゆくことに成功しました。幕末初期段階において、「幕府に敵対する、倒す」と言う考えは、誰しも夢物語と思っていたのです。
ところがこれが暴走し、長州軍が京都に乱入する事態になってしまいました。高杉は来島又兵衛を説得しようとしますが失敗、「後の事はもう知らん」と逃走します。
4カ国艦隊との「馬関戦争」でも、特使として講和に持ち込みますが、下関開港を提唱して攘夷派の憎しみを買い、せっかく高杉政権樹立出来そうであったのに、逃亡せざるを得ず、保守派に乗っ取られてしまいます。
「奇兵隊」は、高杉が"開闢提督"でしたが、彼が退いた後山縣狂介の手兵になってしまい、功山寺決起のときも必死に説得しなければならない始末です。
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彼はそんなに先のことは考えていない、目前の事態に如何に対処するかのみに集中していたということでしょう。
先のことをきちんと考慮してたら、こうも何度も急変した事態に慌てることはなかったでしょう。